社長ブログ

ダイヤサービスの社長ってどんな人なの?(1)

ダイヤサービスの社長ってどんな人なのか?世の中にはもしかすると、こんな小さな会社の社長の生態を知りたいという、不思議な方がいるのかもしれません。そこで本日は、私の経歴について自分自身で冷静に振り返ってみたいと思います。

1975年、東京都八王子市に生まれました。生まれてすぐ高熱を出し、命の危険もあると言われたそうですが、どうにか生き延びました。ただそのせいか、あまり体は強くなかったみたいで、スパルタな父の教育で真冬でもシャツにパンツという下着姿で過ごしていたそうです。幼少期時代は戸出(といで)という名前のせいで、「トイレ〜」「汚え、あっちいけ」などとけっこうイジメを受けたのは今でも覚えています。

小学校時代、運動が超苦手で体育の授業が大嫌いでした。運動会の徒競走はいつもビリ争い。学校の成績はそこまで悪くなかったと思いますが、かといって素晴らしかったわけでもなく、よくも悪くも普通の小学生でした中学生になると学校の授業についていけなくなり、勉強が嫌でヤサグレの道へと・・・。学校の先生方や両親には散々迷惑をかけました。

でも高校2年生が終わる頃、なんとなく自分の進路を考えた時に「大学って俺でも受かるのかな」と思い、それから猛勉強が始まりました。当時、英語の偏差値が45ぐらい、残りは30台後半〜40台前半でしたね。大学どころか、進学先に考えろよ、みたいなレベルでした。高校3年生、恐らく毎日15時間ぐらい勉強してたと思います。オヤジの影響でなんとなくクルマ関係の仕事がしたいなぁ、ということで理系を選びましたが、まあ、ぶっちゃけ英語と数学しかできなかったというのが本音です。

そして大学受験、まあ見事に落ちまくり、もうだめかなと思っていたのですが最後に受けた大学で無事に合格を果たしました。この瞬間、個人的には目標を達成してしまった感もありました。

大学に入学したものの、まともな目標がなかったのでどうも面白くない。授業には全く付いていけず、サークル活動(ゴルフ)とアルバイトに勤しんでました。騙し騙し単位はどうにか取りましたが、授業内容は本当に全くと言ってよいほど分かりませんでした。

ちょっと長くなりそうなので、今日はこのあたりにしておきます。また次回!

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